第二十二話[七軒茶屋]































無死一、二塁、大抵の場合この状況は打者有利、投手不利の状況となる。

6,4,3等の併殺に取ったとしても三塁に走者が残り、万が一抜けた場合は一転を献上する事になるからだ。この場合最も最適な行為は…

一つ以上の三振を取った後に内野ゴロ、もしくはトリプルプレイ。

しかし、この時高校野球部の攻撃側が取る行動といえば、ほぼ一つと言ってよい。



打者がバットを寝かせる。ボールが力なく転がる。

9番高橋、送りバント成功。

一死二、三塁。



投手を経験した人に二、三塁は満塁よりも悪い状況と言う人がいる、併殺が無く、安打はもちろんのこと内野ゴロですら失点の危機となる。それが二死で無い限りスクイズバントだってあり得る。そして最も怖いのはそのプレッシャーによる平常心の乱れ。



「デットボール!」

1番万永、右太股に死球。

一死満塁。



ネクストバッターサークルには2番の六島。しかしアナウンスが入る。




『2番の六島君に変わりまして、七軒茶屋(しちげんちゃや)君、バッターは七軒茶屋君』



有り得ない名前と共にバットを抱えて出てきたのは何のことは無い。要するに宝来坂と同等かそれ以上かもしれない体躯を持った長身で手足が長くそこそこの顔を持った男が出てきただけだ…



それはそれで大問題なのだが…



――六島、七軒茶屋…次は八幡か?

などと丸岩は考えていたが次第にそんな事を考えている場合ではないことに気がつく。

七軒茶屋の素振りが異常だった。

体格の割には短く軽そうなバットを握ったかと思うと。すさまじいバットスイングでそれを振る。そのスイングスピードはバットの重さを差し引いても宝来坂と同等だ。ここまで風きり音が聞こえてくるようだった。

――やばい。

ローラに手招きをしながらマウンドへと歩み寄る。これと言って話すことは無いがなにやら重要な話し合いをしている風に見せてでも早乙女に少しでも休憩させなくては。



「公立高校のレベルじゃねぇよな、あのでかいのとか何者なんだよ」

「丸岩、憶測で物を言うな。七軒茶屋君がどれだけの選手かまだ分からないんだから」


早乙女は息も切れ切れに突っ込んでくる。


「確認しとくぞ、ゴロならダブルプレイを狙え、この回凌げば勝てるぞ!」


オーとか言う返事が聞こえ、内野手が散っていく。


――ちょっと少なかったかな?


丸岩は早乙女を見る。先ほどに比べればだいぶマシだが、まだキツそうである。


――何か時間稼ぎできねえかな。


ふと足元を見る。靴紐がほどけていた。



「タイム!」


一塁塁審のほうから聞こえたので一塁のほうを見る。丸岩が靴紐を結んでいた。


――助かった…


正直あのままではしんどかった。今のうちにそこら辺に浮いている酸素を取り込んでおこう。




「七軒は打ちますかね?」


水田の隣に座った大具来が水田に聞く。


「シラネ」


そっけない答えを口にした後その口の中にスポーツドリンクを流し込む。


「点…入りますかね?」

「シラネ、スクイズのサイン出してねぇもんうちの監督」

「そっすか…」


2人の間に沈黙が流れた。グラウンドからは陽炎が立ち。周りの奴は声を張り上げている。


「あーでも…あれだぞ」


先に口を開いたのは水田だった。


「俺は七軒の打撃を信用していないわけじゃないし……いや、むしろ信頼してるぞ」

「それは俺もですよ」


再びグラウンドを見る、一塁手が異様に丹念に靴紐を結んでいた。


「話変わるけどさ」


今度は水田から話しかける。


「恋恋とできて良かったと思わねえか」

「ああ…」


大具来がマウンドの上で犬のように呼吸をしている男を見てその後グラウンド全体を見渡した。


「それはみんな思ってるんじゃないですか?」






野球はドラマではない。野球は誰かの都合どうりに進んだりはしないのだから。


――マズハ、インハイノスピットボール、仰ケ反ラセル


早乙女がサインにうなずき一球目を投げる。

コントロールは回復した、インハイへとストレート。

七軒茶屋が踏み込む。そして短いバットを振る。

ヒュンと言う風きり音が聞こえそうなスイングはボールを捕らえた。

ボールはバッターボックスの前で大きく跳ねる。





ワンバウンドしたボールがサードの葉桜のグラブに収まるころには七軒茶屋は一塁を駆け抜け、黒瀬はバンザイをしながらベンチへと戻っていっていた。



一点献上してなおも一死満塁。










恋4−3柚