第二十話[ボールを止めろ]
『マジで一回しか言わないからな、要するにボールを止めろ』
「そんな事言われてもねぇ…」
打席に入るときついそう漏らしてしまう。
どうせ直球しか持ち球が無いくせに相手バッテリーが念入りにサイン交換を行う。
『一球目は絶対に打とうとするな、バットだけ構えろ、でボールをよぉぉぉく見るんだ、当てようとは思うなよ。
簡単だ、そしたら止まる。』
いや無理だろ!と思いながらも、大具来の一球目をしっかりと見る。
なにやら違和感を覚えた。
おかしいな…
電光掲示板には140と出ているのに……なんだろう?
少なくともボールは止まらなかった。と言うことは……打てないのか?
いやいやいや!そんな事を考えるな!
早乙女だっていろいろ頑張ってたじゃないか!と首をブンブンと横に振る。
『2球目もよく見ろ!つうか追い込まれるまで振るな!』
「ボール!」
審判が手を下げる、インハイにきわどい球だったが宝来坂はバットを振らなかった。
――振るなって言われてるしな…
判定が気に入らなかったのか捕手の水田が首をかしげながらボールを投げ返す。
大具来も「何で今のがボールなんだよ!」と今にも抗議したそうな顔をしている。
――なんか…遅くないか?
チラリと考えたところでまた首を大きく横に振る。 有り得ない、電光掲示板には139と出ているではないか!
「もぅ……はやく負けてくれよ…たいした未練無いんだからさぁ…こっちは勝たなくちゃならねえのに」
マウンドの上では大具来がボールを見つめながらそうつぶやく、無理も無い、『大具来の威圧感攻撃』(水田命名)を破られ、『揺れ球ナックル作戦』(水田命名)も破られ、今や、『強肩!大具来作戦』(水田命名)も破られんとしているのだ。
「いっぱい練習したんだろうなぁ恋恋の奴ら……そりゃ勝ちたいだ
ろうなぁ…」
水田が何度もサインを確認してくる。一回見れば分かるっつうの。
「まあ…いいさ」
そういえばこの前柚元に「独り言は老化の始まりだ」って言われたな…まあ…いいさ。
「どっち道、全力でぶつからなきゃならんのだ」
打席のデカ女に向かって3球目を目いっぱい力強く投げた。
「ットライク!」
来た。
もやもやが一気に吹き飛んだ。
まだボールは止まっていない、しかし
来た!
何が142キロ!
覚悟しろ大具来!
・・お前・の・・・・140キロ・は・・柚元・の・・・・・125キロ・・より・・
遅い・のだ!
宝来坂は知らないだろうが。
投手の球に伸びが存在することはもはや知らぬ人はいないだろう、しかし、もしそれが外野手の返球の球だったとしたら…
それは通常どおり減速しながらキャッチャーミットに突き刺さる。それはキャッチボールの感覚とさほど変わらない。
投手の球は速いのではない、減速しないだけなのだ。
キャッチボールができる通常の目を持った人間なら。
むしろ外野手の140キロの返球のほうが打ちやすいかも知れない。
『いいか、当てるだけでいいからな。マジで、欲を出すなよ。お前の二の腕は何のためにある?芯に当てるだけで十分だ』
――落ち着け…たいしたことは無い。
打席を外し集中力を高める。
――こんな緊張、父上との乱取りに比べたらたいしたことじゃない。
打席に入る。
早くも大具来がセットをする。
バットを構える。
大具来が投げる。
ストライクと判断する。
瞬間
ボールが止まる。
バットを出す。打つのではない当てる。
短い音と共に打球はライトのラインギリギリにポトリと落ちる。
そのまま勢いは死なずフェンス際へコロコロと転がってゆく。
一塁、二塁、三塁ランナーはその間に生還。
打った宝来坂は二塁を蹴る。
しかし…
「アウトォ!」
三塁タッチアウト。
ライトの守備についている柚元も投手なのだ。
「あっははははは!マジおもしれぇよあの学校」
観客席では奥田が腹を抱えて笑っている。
「うわ…ついに狂った」
間宮が小声で言ったが運良く聞こえていない様子。
「どうしたんじゃ、お前らしくも無い」
「嬉しいんだよ」
「何がじゃ?」
「女とか、男とか、才能があるとか無いとかそういう事に惑わされず。 真っ直ぐ野球をやってる奴がいた事が…嬉しいよ。」
小田桐が首をかしげる。
「さっきは潰しがいがあると言っていたのに、どういうことです?」
「俺が今まで潰してきた奴はな」
奥田はまだにやけている
「負けるとすぐに言うんだよ。才能にはかなわないとか、センスが無いとか、じゃあ何か?
俺はまったく努力せずにここまで来たと言うのか? ふざけるなって事だよな」
手の平で顔をつるりとなでる。
「俺の周りの人間はほとんどそうだよ。そのうちに疑っちまうんだ。 真っ直ぐ野球してる奴って居るのかな?ってな」
奥田はもう一度あははと笑った後、一言つぶやいた。
「あいつらと野球やりたいな…」
恋4−2柚