第36話『ただひたすら・・・・・』































7回表、無死ランナーなし。

先攻 野球部5−2第二野球部 後攻








満身創痍だったのは、鳥羽崎だけではなかった。

普段淡々と、常に自分のペースで投げ続けている古橋だが、もう既にその余裕すらない。





ここまでの投球数に加え、打撃に走塁と野手としても活動させた彼の体は既に限界に近かった





それでも投げなければならない。

門倉も西郷も。投手の練習など、ほとんど行っていない。調整不足は望めない。

もとより自分が完投する予定で臨んだこの試合。













古橋「今更代わってくれなんて、口が裂けても言えへん・・・・・・」













状況は悪化する。


意気込めば意気込むほど、空回りして球が甘く入る。

1番永園には二塁打を浴び、2番の桜場はサードゴロに打ち取るが野上が一塁に悪送球。



先にある二つの塁が埋まり。

打順は中軸に回る。







『3番、ピッチャー、鳥羽崎君』







鳥羽崎がバットを片手に呼吸を荒げて打席に入る。

古橋はまた長い間合いをおいて、呼吸を整える。

鳥羽崎もまた、その間合いを利用して呼吸を整える。












できれば、これ以上の体力を消耗したくない。

古橋もそう考えていると、鳥羽崎は察した。

勝負の時は、あまりに早かった。。










カーン











打球はセカンドベース上を勢い良く抜けていく

センターの門倉が吉見にイチかバチかのバックホームを投じ、それを見て二塁走者は止まる。













それでも無死満塁。












この場面を、絶体絶命と言う言葉以外、どう表現できよう。。

もし、この野球と言うスポーツの中に‘3点差無死満塁‘と言う状況より‘絶体絶命‘と言う言葉が適当な局面が存在するのだろうか。

3点差。僅かに残された希望と、隣合わせになる大ピンチ。



本塁打、安打、エラー、パスボール、通常併殺、内野ゴロ、外野フライ、四球、死球、ボーク。

反則投球、牽制暴投、ワイルドピッチ、打撃妨害。外野に飛べばライナーとて危ない。



考えつく限り可能性のあるプレイを想像するが、その大半が点に結びつく。

この場面、追加点を与えない方法を考えれば考えるほど絶望的な気持ちに狩られる。



三振、本塁殺、捕殺、守備妨害、本塁併殺、牽制殺、内野フライ、ライナー。










そして、三重殺。。










考えれば考えるほど、思考は悪い方に回り始める。

と、言っても三振を奪うほどの球威やキレは既に失せている。











『4番、サード、堂上君』












打席に向かう巨漢の堂上は勝ち誇った不敵な笑みを浮かべ打席に入る。

勝利の確信。まるで獅子が、逃げ回る兎をようやく捕らえ、トドメを刺さんとばかりの表情。

しかし牙を剥き、狙いを定め。確実に仕留めようと目論むこの肉食動物を相手に。。




古橋は果敢に立ち向かおうとしている。。




古橋「壮真。真ん中でええ。全部真ん中に構えや!俺にはもうコースを散らす球威はあらへん!ただで一点やるくらいやったら、いっそ打たれたほうがマシや!」


古橋は、搾り出したような声で、叫ぶ。

気力はまだまだ衰えていない。それどころか追い込まれれば追い込まれるほど好戦的になる。

普段の淡々とした態度からすると。考えられないほど熱い古橋。

体力と気力の反比例。捕手である吉見も驚きを隠せない。





吉見「っしゃー、こいっ!!」





吉見も、古橋に便乗して、かすれた声を絞り出す。

この絶体絶命のピンチ、吉見もミットを構える手が震えるほど緊張しきっていた。




もし、0.1秒後、自分のミットに白球が納まっていなかったら・・・・





一球一球、投じる古橋以上に緊迫しながら、祈るようにミットを構えている。 





初球、ストレートと呼ぶことにすらためらいが生じるほどの直球が、外角一杯に決まった。

堂上も一瞬バットを出しかけたが、寸前のところで止める。



審判はストライクを宣告、ボールカウントもワンストライク。

古橋は投球と同時に雄叫びを上げ、それに便乗して吉見も叫び返す。




堂上「真ん中に投げるんじゃなかったのか・・・やれやれ、必死なことだな」

古橋「ドアホ。真ん中に決まるくらいやったら、最初から散らしとるわ!」




古橋の言葉に嘘はない。

吉見もその事は承知している。



今の球だって、振られてたら外野に打球を持っていくことくらいは容易いだろう。。









二球目、三球目は変化球を決めようと。極力制球しやすいスライダー、カーブを投じる。

そして四球目、変化球には堂上が手を出さないことを悟った吉見は再びスライダーを要求。







しかし、その安易に気持ちで投じた球を堂上は逃さない。。







バットが白球を捉えた。




快音と共に打球は外野に張られたネットを遥か越えて、学校の外の民家に命中した。

投球に球威が無かった分、完全に振りが速く。ポールの外側だったから幸いだったものの。





もう一度あの打球をかまされたら。僅かな希望も闇へと消え失せる。





古橋は、打球を虚ろな眼差しで見届けた後、再び打者の堂上に向き直った。





古橋「相変わらずとんでもねぇ野郎やな。。」

堂上「ちっ、いつまでも上目線から俺を見やがって!」

古橋「いつもでもガタガタほざいてんやないでぇ!」





古橋は、吠える形相で。最後の力を振り絞った。

堂上は困惑した。なんと古橋は振りかぶった。

振りかぶっただけではなく、打席内で堂上は古橋の背中を見た。

思いっきり状態を捻り。既に限界を超えているはずの下半身で、上半身を支える。

全身をバネのように捻り、右足を軸に精一杯捻る。











吉見「ま・・・マグナムショット!」














ビュ
















古橋の指を放れた球は、今までの山なりの球と違い。綺麗な直線を描きミットに向かう。











しかし、その球は本来のノビもキレもなかった。

唯一劣らないのは、気迫。

ただ、間接的な気持ちだけでは、どうしても超えられない壁がある・・・・・














堂上「それがお前の全力の球かあああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
















カーン















叫び声を上げて、堂上は古橋の渾身の一球を一閃する。


快音ではなかった。

堂上も、いきなり球威の戻った古橋に戸惑い、スイングが遅れた。




しかし打球は、先ほどの鳥羽崎の打球以上に鋭い。センターの前か。




門倉が前進する。ランナーは既にスタートを切っている。




やられた・・・・







古橋が、吉見が肩を落とす。

しかし、奇跡を信じ諦めていない男もいた。









小宮山「あああぁぁぁぁぁ!!」








半ば苦しげな叫びを上げながら、小宮山が打球に向かって飛び込む。




鳥羽崎「無理だ。届くはずがない!」

小宮山「ぜってー・・・ぜってー諦めねーぞ!!」




遥か遠くに抜けていくはずの打球は、小宮山の手元で逆にスライスした。

勢いに加え、完全に詰まらされた打球は。空気を切り裂いて変化した。

それは、鳥羽崎の折れるシュートに近いものがあった。

そして、打球は小宮山のグラブの先に当たる。。





小宮山「!!?」





しかし、打球がグラブの先から弾かれる。

さらに遠くに打球が弾かれる、重力を前面に受けてグラウンドの向かって落下する。




落ちた瞬間、敗北を意味する。

しかし、その打球は小宮山からみてあまりに遠すぎた。






ツメが甘かった・・・・






天才とか言われてるけど、結局何もできなかった。。





小宮山は落下する打球より一足先に身体を落下させて悲痛の叫びを上げる。

身体の痛みのあったが、もはやそんなもの感じている余裕すらない。

今はただただ・・・、白球と言う僅かな希望が失せていく現場を眺めているしかないのだから。。




そして、遂に白球が地面に到達しようとした・・・























そのとき・・・・。













スッ・・・









小宮山「ああっ・・・・!?」

古橋「・・・・・・・・っ!!」








その白球の下に、コルクの色をした、使い込んだ革製品が打球の落下を拒んだ。



その瞬間、審判は右手を高々と上げて、アウトを宣告した。










白球は、グラウンドに落ちなかった。



白球と言う名の希望を、どうやら守りきったらしい。。











小宮山「か・・・・嘉勢・・・先輩。。」

嘉勢「っ・・・・・・」










小宮山の弾いた打球を、地面スレスレで受け止めたのは、遊撃手の嘉勢だった。






それは奇跡のような出来事だ。

小宮山と同時に、白球に向かって飛び込んだ遊撃手嘉勢は。

小宮山ほど、身軽でないために一足先に地面に落下した。

その落下後、無念の意を感じ。絶望感に狩られていたところ。

なんと、白球が空から降ってきた・・・と言う感覚らしい。。
















これこそまさに、人の言う‘奇跡‘







彼等はこの局面で、可能性の最も低いカードを引き当てた。









引き当てたと、言うよりは。彼等自身が、そのカードを引き当てたのだ。















奇跡と言う。最も薄く、数の少ない希望に満ちた一枚のカードを。。。








そして彼等は、もう一枚だけ残された、逆転のカードを引きあてに最終回の攻撃を迎える。

























一方。このあるまじき失態を犯した堂上に、野球部ベンチは冷たくあたった。

どんな奇跡も、起こされた方にとってはたまったもんじゃない。




初球の球、それ以降の球。




彼の打力なら、外野フライなら容易く放てたはずだ。。




チーム以前に、自らの過去を清算することを優先してしまった堂上を。

低く潰れた、不気味な声で罵る、黒服の恐ろしい男。

愛情や、師心、贔屓目すら聞かされてない、冷たい言葉の一言一言が彼の心に突き刺さった。

















堂上「俺は・・・・・何故、野球を・・・・・・」


















そして、理事はその後、鳥羽崎と鞘元を呼びつけた。。











鞘元「しゅ・・・シュートを連投しろ・・・ですか?」

理事「ああ、俺の仕込んだシュート。まだ投げてないはずだ・・・あのバカが残した奴等の希望をズタズタに切り裂いてやれ・・・・」



理事の冷たい言葉に、鞘元は一瞬固まった。。

目を逸らす事はできなかった。あまりに冷たく冷酷な瞳が、鞘元を金縛りにする。

刹那、鞘元がハッと背後で息を荒げる鳥羽崎に視線を向けた。







限界ーーー。いや、もう既に限界を超えているのではないか。。







昨年秋の新人戦から、冬の選抜。

春の市総体、県大会。夏の熱闘、そして今まで重ねてきた練習量。





それを考えると、一度くらいは何処かで限界に達して。壊れていても良いのかもしれない。。





いや、もう壊れていた・・・・

壊れかけているにも関わらず、顔色一つ変えずに投げていたのではないか。

今日だってそうだ。3回あたりからキレが悪いのには気付いていたが、彼があまりに自然だったから、ただ調子が悪いだけだと思い込み。気付いてやれなかった。。



精一杯横目を使い、鳥羽崎の歪んだ表情を確認する。

そして、目の前の異常な雰囲気を漂わせた男に対し、異議を申し立てようとしたその時・・・。










鳥羽崎「わかりました・・・・・・」

鞘元「と・・・鳥羽崎!お前っ!!」





鞘元が思わず声を張り上げると、鳥羽崎が透かしたような態度に静かに頷く。

そして、その返事を聞いて、理事は横柄とも言えるほど投げやりに「よーし」と呟く。

永園も生田も桜場も秋山も、気付いているが、声がかけられない。








彼等もまた、この闇を身に纏った男に、束縛されていたから。。










鞘元「鳥羽崎、お前・・・・」

鳥羽崎「余計な心配するな。今は勝つことだけを考えろ・・・・」

鞘元「・・・・・・・・」







そう言うと、鞘元はマスクをかぶり、ボックスに戻っていく。。







鞘元「無理は・・・するなよ・・・・」








一言だけ・・・ただ一言だけ、そっと残して。。。













そして、鳥羽崎は、軋み、痛む肘でシュートを連投した。。










昨年。理事に直々に・・・・いや・・・・。
















25年前の城彩中学野球部エース。榊原に直々に伝授された・・・・















全ての災いの根源となり、25年間封印され続けて来た。秘球を・・・・・・。






















主審「ストライーク、バッターアウト!!」

浅間「シット!」












まず一人、その‘秘球‘の餌食となっていった。。。




肘を庇い、これまで投げてきた中途半端なシュートではない。。

キレは曲がるのではなく折れる、彼の投げたこれまでの球で、最も難易度が高く完成された球。













しかし・・・その代償は・・・・あまりに大きかった。。。














鳥羽崎「・・・・・・っ・・・・・・、、、、」















そして、理事は。

そんな苦しむ鳥羽崎の姿を・・・・。










ただただ嘲笑い、見下していた。。








7回裏 一死ランナー無し

先攻 野球部5−2第二野球部 後攻







続く